京都で見つけた“バトン”

2年半ぶりの京都だった。
紅葉も見頃を過ぎ、店先の設えは新しい年を迎える準備に変わろうとしていた。都道府県を越える移動制限が解除され、各地の観光名所が多くの人で賑わっているニュースを見ていたので、京都もさぞかし混雑していると覚悟していたら意外にも肩すかし。それなりに賑わってはいるが、ここ数年の「(道をスムーズに)歩けない」「(満員で市バスに)乗れない」「(店の前に行列ができていて)食べられない」という状況ではなかった。

セレクトリサイクルショップ 「PASS THE BATON」

その日、師走にしては暖かいと感じながら、私はいそいそと祇園白川に向かった。お目当ての店は、京阪祇園四条駅で降り、大和大路通りから白川筋へ東に3軒ほど入ったところにある。

白川のせせらぎにかかる小さな橋の向こうに、白い暖簾が揺れている。
あぁ、ここだ!今回の京都旅の一番の目的地「PASS THE BATON」。
まるで町家レストラン、あるいは小さなホテルかと見紛うアプローチに心躍らせながら一歩一歩橋を渡る。
実はこの「PASS THE BATON」は、リサイクルショップである。ただし、私たちが通常イメージするリサイクルショップとはかなり様子が違う。ここは“NEW RECYCLE”をコンセプトにしたセレクトリサイクルショップなのである。

店内にはバッグやアクセサリー、洋服や靴、食器などが心地よくディスプレイされ、さながら大人のオシャレなびっくり箱のようである。こうなると、もう私の物欲には歯止めがかからない。私の肩書の一つに、消費生活アドバイザーというのがある。「適切な商品やサービスの選択を行うとともに、自らの消費行動の影響を考え、消費行動を通して社会課題の解決に参画する」とか何とか、難しい役割を率先して担わなければならないのだが、家族や友人は口をそろえて「あなたは、完璧な浪費生活アドバイザーだ」と言う。
その通り! 決して否定はしない。だって買い物は、楽しいのだ。

「過去」を「未来」へつなげる

様々な商品、品物は、場合によっては幾つもの国境を越え、多くの作り手によって私たちの手元に届いている。
年齢や環境の変化によって、愛着のある品物や思い出の詰まった品物を手放さざるを得ないとき、ただ捨てるには忍びない。誰か大切に使ってくれる人がいれば引き継いでほしい、私たちはそんな風に思うことがある。

そんな思いのBATONをPASSする場がここなのだ。

かつて高度経済成長を支えた20世紀型の経済は、モノを「買い替える」ことによって発展した。
古くなれば新しいモノに、壊れたら新しいモノに、飽きてきたら新しいモノに、そうして使われなくなったモノは「処分」された。
言い換えれば、「新しい」ことにこそ価値を見出してきたのだ。けれども、環境への配慮、LOHASやエシカルな消費行動が浸透しつつある今では、むしろ商品の持つストーリー性に目を向け、「過去」を「未来」へつなげることに価値を見出そうとしている。PASS THE BATONが注目されるわけである。

生まれ変わった白いお皿&ショッピングバッグ

お皿もバッグも、メーカーからの納品時に検品に通らなかったものを、PASS THE BATONが買い取って新たに「商品化」したものだ。日本の検品チェックはかなり厳しい。私たちでは気が付かない小さなシミやキズ、染むら、縫い合わせポイントの不一致などが検品で見つかると、納品することはできない。つまり不良品となり、廃棄を含めて何らかの形で処分される。

お皿は、ホテル等で大量に使われる白い無地。どこかに黒い点のようなものがあったため納品できなかったものだ。
ショッピングバッグは、全国展開の有名食品流通企業のロゴが入った人気のバッグだが、何らかの縫製の不具合で検品時に通らなかったのだという。
しかし、この皿やバッグのどこに不具合があるのか、キズや点があるのか、私には見つけることができない。

ひと手間かけたリサイクル=オリジナリティ

そんなお皿には、若手アーティストによる素敵な絵が描かれている。ショッピングバッグは、裏返してお店のロゴを入れ、金糸でバトンをつないでいる刺繍が施されている。「いや~、エエ感じやわぁ!オシャレやし、他では売ってないし、何と言うても、廃棄物削減に貢献できるし!」などど、自分に最大限の言い訳をしながらレジに向かった。お釣りを受け取りながら、「また、寄せてもらいますぅ」って目を輝かせている私は、やはり浪費生活アドバイザーに違いない。

エコ社会に通じる京都の「始末」文化

京都好きを自認し、長年京都に通っている私の感覚だが、京都市内ではオシャレなリサイクルショップや古着屋さんが多い気がする。かつて古書店、骨董店が多かった土地柄もあるのかもしれないが、やはり「始末する」生活文化なのだろう。

京都でいう「始末する」は、片付けるという意味ではなく、品物を無駄なく最後まで使い切ることである。ただし、それは単なるケチでは決してない。普段の生活では浪費を慎み、賢く倹約し、リユースやリサイクルを含めモノを最後の最後まで使い切ることで、原材料や作り手に敬意を表することに他ならない。「倹約と華やかさ」、まさに「ハレとケ」のメリハリ文化は、始末することから生まれたと言える。そして、モノの背景やストーリーを思いやるエシカルな消費、SDGsの原点がここにある。

今回京都で見つけた素敵な “NEW RECYCLE” PASS THE BATONのことを、次は誰に伝えようか、そんなことを考えながら鴨川の飛び石を渡っていたら、見事に滑った。もう少しで川にドボンの危機一髪に、久しぶりに肝を冷やした一瞬だった。これくらいの間隔はピョンと飛び越えられるはずだとタカをくくっていたが、思った以上に脚力が弱っていたとみえる。
自分の老化に少し落ち込んだが、いやいや、落ち込んではいられない。頭を切り替えることも老化防止の大事なポイント。次に何をテーマに探検しようかと考えながら京都に別れを告げた。

いづみかど

いづみかど

阿波おどりと京都が大好きな大学のセンセイ。
消費生活アドバイザーの資格を持つが、かなりの浪費家。
「回る寿司とチャンスは1周目でゲットする」がモットー。
様々な人との縁に感謝し、それを大切に信頼の輪を広げている。