アメリカの人種問題を、「差別」ではなく「カースト(見えない序列)」として捉え直した一冊。
イザベル・ウィルカーソンの『カースト アメリカに渦巻く不満の根源(Caste: The Origins of Our Discontents)』は、2020年にアメリカで刊行され、大きな反響を呼んだ。日本語版は岩波書店から2022年に出版。
1960年代の公民権運動によって、人種差別は法の上では禁じられたはずだった。だが現実には、黒人はいまなお教育や就職で不利な立場に置かれ、警察による暴力も後を絶たない。2020年には「ブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)」が全米規模で広がり、世界の注目を集めた。
著者自身も黒人女性として、取材の現場でも差別を経験してきた一人だ。本書は、そうした日常の差別の底に潜む、「優越」を維持しようとする社会の仕組みを、アメリカ社会に根づく“カースト”として描き出している。

差別の根は、どこにあるのか?
差別が、ここまで根深いものだったのか——。本書を読みながら、何度もそう感じた。
ウィルカーソンは、アメリカの人種序列を、単なる偏見や差別感情ではなく、社会全体に埋め込まれた「見えない身分制度」として読み解く。ナチス・ドイツがユダヤ人迫害の制度を形づくる際、アメリカの人種隔離政策や法制度を参照していたことや、キング牧師がインドを訪れた際に、「今日はアメリカから来た最下位のカースト」と紹介され、アメリカの黒人差別とインドのカースト制を重ねて見られたことに驚いた、というエピソードも紹介されている。
インドのカースト制、アメリカの人種差別、ナチス・ドイツのユダヤ人排除の構造に共通するのは、“人間を序列化する仕組み”。恐ろしいのは、国、宗教、慣習、法律、教育——本来は人を支えるはずのものが、ときに差別を正当化する道具になってしまっていることだ。
黒人を人間としてではなく、労働力として、あるいは所有物のように扱った「合法的な奴隷制」の歴史。その長い歴史が、法律の改正だけでは消えない深い傷を社会の底に残していると、著者は指摘する。
遠い国の話ではない。現在進行形である。国や民族、立場の違いを理由に、人を“上”と“下”に分けたがる心は、今も世界のあちこちに顔をのぞかせている。問題は制度だけではなく、私たち一人ひとりの心の中に潜む「見えない差別」にある。
釈尊は、人間の心に“見がたき一本の矢”が刺さり、その矢によって人間はつき動かされ苦しんでいると説く。その一本の矢とは、「我執・自我・エゴイズム」であり、「差異へのこだわり」であるとも言ってよい。
この本は、自分の心の中にある“カースト”と向き合う勇気を与えてくれる一冊だった。
著者と訳者、その言葉に重みがある理由
著者と訳者の経歴にも目を向けたい。というのも、この一冊の説得力は、二人の歩んできた道のりによって、さらに深まっているからだ。
著者のイザベル・ウィルカーソンは、元ニューヨーク・タイムズ紙記者。1994年、ピューリツァー賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人女性として初の受賞者となった、代表作『The Warmth of Other Suns』でも高い評価を受けているが、本書『Caste』はそうした長年の取材と探究の延長線上にある。
翻訳者は、米国弁護士でもある秋元由紀。上智大学法学部卒業後、ジョージ・ワシントン大学ロースクールに留学し、ニューヨーク州の弁護士資格を取得。国際人権分野での経験も持ち、『マルコムX(MALCOLM X|A Life of Reinvention)』など、黒人問題をめぐる骨太なノンフィクションを数多く手がけている。
書き手にも、訳し手にも、十分すぎるほどの“背景”がある。時間をかけて読む価値のある一冊だと思う。
「終活」の視点から、この本を読むなら
“終活”というと、物の整理、財産の整理、人生の整理——そんな言葉を思い浮かべる人が多いかもしれない。けれども、本当の意味での“人生の棚卸し”には、もう一つ大切なことがある。それは、自分の中にある思い込みや、知らず知らずのうちに抱えてきた偏見を見つめ直すことだと思う。年齢、学歴、職業、国籍、性別、家庭環境——私自身も日常のなかで、知らず知らずのうちに人を“分類”してしまう。
自分の中にある“見えない序列”は、本当にないと言い切れるだろうか?
終活とは、身の回りを整理することだけではない。
自分の中にある思い込みや、知らず知らずのうちに抱えてきた偏見を見つめ直すこともまた、大切な“人生の整理”なのかもしれない。
『カースト アメリカに渦巻く不満の根源』

出版社:岩波書店
著者:イザベル・ウィルカーソン(Isabel Wilkerson)
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。デビュー作の『The Warmth of Other Suns: The Epic Story of America’s Great Migration』は高い評価を受け、ピューリツァー賞、米国人文科学勲章、ニューヨーク・タイムズのベストセラー、全米批評家協会賞(ノンフィクション部門)等を受賞。プリンストン大学、エモリー大学、ボストン大学で教鞭を執ったほか、欧米やアジアの200以上の大学で講演も行っている。
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訳者:秋元由紀
翻訳家、米国弁護士。訳書は、『レイディ・ジャスティス』『マルコム X』『コーネル・ウェストが語る ブラック・アメリカ』『沈黙の山嶺』『ビルマ・ハイウェイ (第 26 回アジア・太平洋賞特別賞受賞) 』など。著書に『Opportunities and Pitfalls: Preparing for Burma’s Economic Transition(Open Society Institute, 2006)』。